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今日、ラグビーの試合を観に行った。
F大とM大の対戦。 我がF大はBリーグで負け知らずの優勝をし、 今日は、Aリーグ最下位のM大と、Aリーグ昇格を賭けての入替戦だった。 この試合が終わったらもうしばらく試合はないみたいだし、絶対、観たかった。 最後に、山田くんがラグビーをしてるところを見たかったの。 だからちーちゃんを誘って、(ちーちゃんもラグビー部にいいな、って思っている人がいるし) 試合場所となるA大へと向かった。 A大って、すごく広い。我がF大も広いと思っていたけれど、その何倍も広いような気がする。 木がいっぱいあって、枯葉が道を覆い尽くしていて、 少し歩くとカサカサって音がして、なんだかそれだけで胸がきゅんとした。 お天気はあいにく曇り空。 でも、その白い空が、なんとなく冬の、冷たいけれど、静かだけれど、 何か熱いものを内に秘めているその雰囲気を表しているようで、 試合を観る前からせつなくなってしまった。 私はお気に入りのグレイッシュなピンクのダッフルコートを着て、そのときが来るのを待っていた。 試合が始まった。 スタンドのような少し高いところから試合を観るのだと思っていたので、 普通の、試合をしている選手と同じ平面のグラウンド上で、 選手のすぐそばで観ると知り、動揺した。 応援に駆けつけた人の数も、(後で聞くと、あの数は多い方らしかったようだけど) 私の予想してたのがもっと多かったので、それにも動揺してしまった。 私が来たことを山田くんに気づかれてしまいそうで、怖かった。 山田くんを見に来たのだけど、私の気持ちは気づかれたくないの。 だから初めのうちは後ろのほうに立って、他のひとの影に隠れるようにそっと見ていた。 人と人の隙間から、一生懸命山田くんを探した。 山田くんの背番号を見つけるたび、その姿を追って、 でも、私の前に立っている人の背中ですぐに見失ってしまったり・・・ それでもずっと山田くんを目で追って、自分でもなんて健気なの、って思ってしまう。 だけどそのうち、そんなもどかしさに耐えきれなくなって、 “もういい! せっかくここまで来たんだもん、しっかり見なくちゃ!!” それで、前のほうに出て見るようになった。 ラグビーのルールなんて全く知らなかったけれど、F大が勝っていることは、もちろんわかった。 選手はみんなすごく怖い顔をしていた。 山田くんも、すごく怖かった。 山田くんのあんな顔を見るのは初めてで、最初は“かっこいい”というより、ショックだった。 本当に怖かった。別人のようだった。 そのうちに、そういう表情にもようやく慣れてきて、だんだんかっこ良く見えてくるようになった というか、心をうたれてしまった・・・。 「NO SIDE !」 と声が響き渡り、試合が終了した。 無事に勝って、本当に良かった。 背番号3番の人、怪我をしたみたいだったけど、大丈夫だったのかな? 怪我と隣り合わせのスポーツなんだということも、今日はじめて目の当たりに実感した。 F大学ラグビー部、Bリーグ優勝、そしてAリーグ昇格。 F大は本当に強かった。M大と比べものにならないくらい。 ぶつかりあうとき、押し合うとき、断然F大のほうが強かったもの。 山田くんが、ジャンプして何度もボールをとった。 すごく真剣で、一生懸命で、怖い顔。 でも私、一生忘れない。 勇気をだして、思いきって応援に行って良かった。 山田くんを、今までとは全然違う山田くんを見ることができて、本当に良かった。 試合終了後、監督やキャプテンや、いろいろな人の胴上げがあった。 みんな泣いて笑って・・・。 今まで、こうして勝って喜べるまでに、どんな辛い練習があったのだろう。 遠くから選手たちを見ていると、ますます山田くんが遠く感じられて、 それを強く思い知らされて、少し落ち込んでしまった。 でも、今日、試合を観に来て本当に良かった。 応援に来ている人たちは、選手の友達、彼女、OB・・・という身内が多くて、 私みたいなよそ者が来てしまっていいのかな、とそればかり思っていたけれど、 選手や、彼らを静かに祈るように見守り、応援する人たちと同じ空気を共有できたこと、 すごくうれしかった。 いつまでも、この場にいたいな・・・って思った。 スポーツ観戦とその応援で思い浮かべるのは、今までは高校野球だった。 学ランの応援団、チアガール、ブラスバンドを中心とした力強くて派手な応援。 ほんの少し前までは、私もその中にいた。その空気のなかにいることが大すきだった。 今日は、その空気とは全く違っていた。 ひとりひとりがそれぞれに想いをこめて、静かに選手たちを見守っている。 ああ、こういう応援もあるんだ、と思った。 思いっきり声を出してする応援も、声にはしないけれど、という応援も、 どちらも選手を思う気持ちは同じなんだ。 でも、今日のような少し曇った、白い空の冷たい冬の日には、 そっと黙って見ているその静かさのほうが似合っているような気がした。 今、ここに流れる雰囲気・・・空気・・・ずっとずっと忘れたくない。 本当にユーミンの歌みたい。なんかいつまでも、そこに立っていたかった。 どれくらいぼんやりしていただろう。 急に、一緒にいたちーちゃんの視線が私の頭を通り越して、誰かを見て、 「お疲れ様でした。おめでとう。」 と言うのだ。 そして、ちーちゃんの “ う・し・ろ!” という目の合図。 そして降り返ると、そこに山田くんが。 もうびっくりして、突然で、頭の中が真っ白。 もう、そのときのことがどんなだったか、はっきりとは覚えていない。 でも、ちーちゃんが言うには、 まず山田くんが 「応援に来てくれたの?」 と聞いたそうだ。私は、「うん」と頷いた(そうだ)。 「わざわざ?」 「うん」 「ありがとう」 「うん」 なんか私は 「うん」としか言わなかったみたい。 やっと最後に、「よかったね」と言ったそうだ。私が言えたのは、そのひとこと。 なんて馬鹿なんだろう!! 山田くんが来てくれたのに。 それに、私は、山田くんを応援に来たんじゃない、ということにしておきたかったのに。 なのに、山田くんに聞かれるまま、全部素直に頷いてしまった。 そのときは、なんだかもうわけがわからなくなってて、ただそれだけだったんだけど、 今思うと、とても大胆。 みんなは、それで良かったんだ、というけれど。 なんだか夢をみてるみたい。でも、そうだよね、嘘じゃないよね。 だって、ちーちゃんのほっぺをつねったら、「痛い!」って言ったもん。 でも信じられない。嘘みたい。夢みたい・・・ 私たちのところに来てくれたときの山田くんは、 もういつもの、私が知ってる、優しい山田くんの顔だった。 その後、私はちーちゃんに、マロンパフェをおごった。 ユーミンの最近あちこちでよくかかってる曲、♪ どうして どうして・・・ という歌が流れてた。 なんだか今は、触れるすべての空気が、幸せで、大切で、切なくて。 そして、本当に嘘みたい。 さっき、TELがあったの。山田くんから。 外線でかかってきたので、きっとまりちゃんか、お母さんからだと思ってた。 そしたら、男の人の声。 「山田ですけど」って。 もう一度お礼を言ってくれたの。そのために、わざわざかけてきてくれたの。 「今日は来てくれてありがとう。うれしかった」って。 本当に夢を見てるみたい。 N駅のホテルできちんと正装して祝賀会があって、こっちへ戻ってきてこれから2次会だそう。 本当に本当にうれしい。うれしくて、もうどうかなっちゃいそう。 TELしてくれるなんて。 それも呼び出しじゃなくて、直通の番号でかけてきてくれた。 部屋番号知らないはずなのに、きっとわざわざ誰かに聞いてかけてきてくれたんだ。 もう、うれしくて、今日は眠れないよ~! 早く明日にならないかな。 早く山田くんに会いたいです。 * * * 実はこれは、1988年(昭和63年)12月 4日 日曜日 のできごとです。 23年前の、今日のこと。 この超長編!の日記をみつけたとき、かなりショックだった。 だって、今の私とはまるで違う私がいるみたいだったから。 どこか遠い所に置き忘れてきたかのような自分。 私って、こんなふうだったんだ。 ちょっとびっくりしました。 山田くんとは、いちおう仮名にしてありますが、 ( ここではいちおう、“山田太郎くん”ということに ) 20才の頃の私が大すきだった人。 今思い出しても、本当に大すきだなぁ って思う。 aiko の 名曲 「カブトムシ」 そのものの気持ちで、愛しさと切なさでいっぱい。 そしてその温度は本当に温かい。 いまだにこんなに温かくて濃い感情を持てる恋をしたことを 本当に誇りに思います。 この後、私は山田くんと付き合うことになるのだけど、 すきですきでたまらなかった人と付き合えて、しあわせな時間を過ごすのだけど、 なぜだろう、いちばん強く強く思い出すのが、 1988年12月 4日 のこのラグビーの試合を観た日のことなのです。 まだ付き合う前のこのときの、この距離感がいちばん鮮やかに残っています。 ちなみに、試合を観た帰り道でマロンパフェを食べた喫茶店で流れていた曲は、 ユーミンの 「リフレインが叫んでる」 でした。 その時は新曲でまだタイトルも知らずにいたけれど、すごく印象的で、 その後も様々な場面で流れていた曲。 今聴くと、あの頃は気づかなかったフレーズに、なぜかとても胸締め付けられることにハッとし、 いつのまにか、この曲の歌詞そのものになっていることに驚かされています。 時が流れたんだなぁ、と。 10年ひと昔だから、もうふたむかし!! ああ、乙女ぶって綴ってみても、当然私はオバサンです! いいのいいの、心は、山田くんを思うときの私だけはずっと20才なんだから。 私にとって、「 生涯忘れることはない 」 思い出です。 山田くん、お元気ですか? できることなら、あの日に戻って、もう1度あの冬の空の下で会いたいです。 #
by aria-rain
| 2011-12-04 03:35
| あの日あの時
人生には忘れられない出会いが幾つかある。
人との出会い、チャンスとの出会い、本や音楽との出会い、等々。 出会ったその時点ではそれ程のことに感じていなくても、 幾つかの季節が過ぎ、様々な出来事が通り過ぎた後もなお、 その事象が深く自分の胸に刻まれていることに気づいたとき、 そのモノとの出会いが自分にとっていかにかけがえのないものだったか、 素晴らしいものだったかということが、しみじみとわかる。 その “ アイテム ” との出会いも、私にとって素晴らしいものだった。 それは、ピンクのダッフルコート。私が短大1年、19才のときだった。 ひと目惚れだった。ピンクという色味がとても印象的な、ロング丈のダッフルコート。 確か岐阜のパルコだったと思う。 定価6万円ほどしたそのコートを運良くバーゲンで2万円くらいで買った。 トックル部分は象牙で出来ていて、 ループ ( トックルを通す輪っかのところ ) は革製の、上質なものだった。 色は、ピンクといっても決して子どもっぽくなく、とても落ちついた色味のピンクで、 冬のコートの色としてふさわしい、少しくすんだ、でもきれいで優しい色味だった。 少しグレイッシュな感じのピンクはこっくりとして暖かな感じがした。 とにかく私はその色の良さに、とても魅かれてしまった。 そして、大切に大切に着た。 コートというと、グレイや紺や茶系といったカラーが定番ななかで、 そのピンクのダッフルコートは、他から見ても印象深かったようだ。 おかげで得したこともある。 だけど、控え目な色味のピンクはコーディネイトもそれほど難しくなく、ごく普通だった。 インにダークカラーのシンプルなニットやトレーナー、 ミニタイトスカートにタイツを合わせたり、 ジーンズを合わせると、甘くなりすぎず、すきだった。 そんな大切なコートのデビューは、2月の上旬。雪が降っている寒い日だった。 学生なのに高い買い物をしてしまった私は、そのコートのデビューを慎重に、 且つ、楽しく考えた。いつにしようかな? どんなコーディネイトにしようかな・・・ そして、デビューはあっけなくやってきた。 そのコートを買って2~3日後に、私には2週間の保育所実習が待っていた。 実習にそのコートを着ていくつもりは全然なかった。出来れば避けたかった。 それなのに・・・実習初日は、前夜からの大雪が降り続いているという、 とんでもない日になってしまった。雪の中、保育園まで30分の道のりを歩いて行くことに。 ピンクのダッフルコートの出番だった。母は、「ちょうどよかったね~」と、にこにこ笑っていた。 忘れることはない、そのコートのデビューのコーディネイトは、ジャージに長靴だった・・・。 そうして私はそのコートを、短大1年だった19才の時から、 結婚前の24才まで約6年間、大切に着た。 その間、もう少し薄手のコートやハーフコートを買ったりしたけれど、 そのピンクのロングダッフルコートは私の中でずっとメインだった。 コートの隣を歩く男の人が変わったとしても、 そのコートのメインの座が変わることは、決してなかった。 そんな大すきなコートも、結婚してからは1度も着ていない。 結婚して初めての冬に、私はそのコートにお暇をあげることにした。 どんなに大切に着ていたつもりでも、約6年ものあいだ、ずっとメインコートだったのだ。 もともとくすみを帯びたような色だったけれど、いつのまにか、 “あれ? こんなにくすんでたっけ?”と感じるようになっていた。 それになんとなく、結婚してからは、もう着たくなかった。 このコートは、独身の頃の思い出と一緒に、そっとしまっておこう。 2度と戻らない、青春の日々のコートとして・・・ 今、ピンクのダッフルコートは、衣装箱に防虫剤(無臭じゃないやつ)をいっぱい入れて、 そうそう簡単に取り出せはしない場所にしまってある。 実際、しまってから今まで1度も取り出してない。 次にあのコートに会えるのは、いつなんだろう。 もう、おばあちゃんになっている頃かもしれない。 そうだ、いつかこどもたちに、このコートの話と存在場所を教えて、 歳取った私の体と一緒に、棺に納めてもらおう。 ピンクのダッフルコートは、きっといつまでも私の中で、メインコートなんだから・・・ それくらい、大切なコート。そんなコートと出会えて、よかったな。 (2002 02/07 03:03 ・ 2006年2月一部改筆) ◆ ◆ ◆ そして、今2010年。 この文章を最初に記したときから8年が経った。 あのダッフルコートはその後も全く出すことなく仕舞ったままでいる。 だけど、季節が来ると必ず思い出す。 あの頃の青春の輝きを連れて、鮮やかに優しく。 ありがとう、ピンクのダッフルコート。 #
by aria-rain
| 2010-02-01 23:52
| メモランダム
11月。 大すきな月、季節です。
あれこれ物思いに耽っていたら、以前につけていた日記をふと読み返したくなった。 それで、ここにアップしました。 ついでに、昔書いたプロフィールも。( ↓ ) 2002年 10月 と 11月 の日記。 7年前。 こどもたち、まだスイミングに通っていたのね。小学2年生と保育園児だった頃。 今はふたりとも 中学生。 思春期真っ只中の、無口な息子たち。 先日校内合唱コンクールがあって、聴きに行ってきたけれど、 ああ、男子のなんて かっこいいこと♪ 幼い頃からよく知っている子たちがみんな、すごくかっこよくなっている。 うちの息子たちも、こうやって見ると、うん、すごくかっこいいじゃない。 ( 親バカは承知、すみません,,, ) いいなぁ、中学生。 本人たちはそんなこと全く気づいてないだろうけど、 きみたちは今、とってもかけがえのない季節の中にいるんだよ、 すっごくキラキラ輝いていて、眩しいんだよ、と知らせてあげたい。 だけど、そのことに気づくのは、やっぱり大人になってからなんだろう。 すっかりオジサン、オバサンになった頃にしか、わからないものなんだよね。 それにしても、「 大地讃頌 」 、素晴らしかった。 私も中学3年生のとき歌った。 卒業合唱。 歌の意味も、今だからこそよくわかるようになった気がする。 今改めて、いろいろなことに、ありがとう と言いたい。 息子たちにも、今はごちゃごちゃ難しく考えなくてもいいから、 ただ一生懸命ひたすら歌っていてほしいと思う。 何気なく口ずさむ歌が、いつかふと口をついてでた歌が、 驚くほどパワーをくれるときがあること。 大事なチカラになること。 大人になるとわかるから。 今はただ、今を一生懸命に仲間と楽しんでほしいと思う。 #
by aria-rain
| 2009-11-01 06:10
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